その関わりについては、いつもよく考えるのですが、
先日 行った演奏会で、自分の好きな言葉が突然流れてきて、
驚きと共にとても幸福な気持ちを味わいました。
猪本隆さんの歌曲ばかりの演奏会にて。
この方の作品の詩は特に心に響くものが多くて、楽譜を見ているだけでも考えさせられたり満ちた気持ちになるのですが、
その曲は初めて聞く曲なのに、何故か知ってる気がして、なぜだろう?なぜだろう?もしかして…?と思ったところで
最後に、その言葉が。
気に入って切り抜いてあった言葉は、詩の一部分だったのです。
歌詞となって聴こえてきた途端、何とも言えず幸せな気持ちになったのでした。
曲にしてくれて、ありがとう、というような。
誰の詩かも分からず、詩の一部分だというのも忘れていたのに、それを素晴らしい形で目の前に置いて貰った気がしたのでした。
作曲家が選ぶ詩・言葉や題材はそれだけでその人の人間性が出ていて、いつもとっても興味深いと思います。
クラシック作品に限らず、ポピュラーな歌においても、その人の生き様が見え隠れして、自分の生き様と響き合って、琴線に触れるのでしょうね。
先日 行った演奏会で、自分の好きな言葉が突然流れてきて、
驚きと共にとても幸福な気持ちを味わいました。
猪本隆さんの歌曲ばかりの演奏会にて。
この方の作品の詩は特に心に響くものが多くて、楽譜を見ているだけでも考えさせられたり満ちた気持ちになるのですが、
その曲は初めて聞く曲なのに、何故か知ってる気がして、なぜだろう?なぜだろう?もしかして…?と思ったところで
最後に、その言葉が。
気に入って切り抜いてあった言葉は、詩の一部分だったのです。
歌詞となって聴こえてきた途端、何とも言えず幸せな気持ちになったのでした。
曲にしてくれて、ありがとう、というような。
誰の詩かも分からず、詩の一部分だというのも忘れていたのに、それを素晴らしい形で目の前に置いて貰った気がしたのでした。
作曲家が選ぶ詩・言葉や題材はそれだけでその人の人間性が出ていて、いつもとっても興味深いと思います。
クラシック作品に限らず、ポピュラーな歌においても、その人の生き様が見え隠れして、自分の生き様と響き合って、琴線に触れるのでしょうね。