シューベルトはずっと苦手でした。
私にとって1番遠い作曲家、といえるくらいに。子どものとき、脱力もテクニックも何も出来ていないまま、無理矢理弾かされて、すっかり「嫌い」という意識が出来てしまい、成長とともに少しはいいなと思っても、世のピアニスト、しかも一流どころが何故こぞって弾くのか、正直不思議でした。単純だし、繰り返しばかりだし、と(笑)
そんな訳で、自分ですすんで弾くことは全くなかったし、大学院生の頃やっと良さが分かりはじめ、でも自分で弾くと全然良くなくて、やっぱり弾かず仕舞い。それでも、歳をとってシューベルトが弾けるようになっていたらいいな、とは思っていました。
歌曲やデュオ、カルテットなどで弾かざるを得なくなると、普段以上に苦労していました。
それが!このところ、
惹かれています。
やっと いろいろ追いついてきたのでしょうか。理想と指と気持ちと、その結果などが。
先日は初めて人前で、短い曲を演奏しました。心地よい時間でした。
また遠ざかってしまわないように、少しずつ向き合いたいです。
私にとって1番遠い作曲家、といえるくらいに。子どものとき、脱力もテクニックも何も出来ていないまま、無理矢理弾かされて、すっかり「嫌い」という意識が出来てしまい、成長とともに少しはいいなと思っても、世のピアニスト、しかも一流どころが何故こぞって弾くのか、正直不思議でした。単純だし、繰り返しばかりだし、と(笑)
そんな訳で、自分ですすんで弾くことは全くなかったし、大学院生の頃やっと良さが分かりはじめ、でも自分で弾くと全然良くなくて、やっぱり弾かず仕舞い。それでも、歳をとってシューベルトが弾けるようになっていたらいいな、とは思っていました。
歌曲やデュオ、カルテットなどで弾かざるを得なくなると、普段以上に苦労していました。
それが!このところ、
惹かれています。
やっと いろいろ追いついてきたのでしょうか。理想と指と気持ちと、その結果などが。
先日は初めて人前で、短い曲を演奏しました。心地よい時間でした。
また遠ざかってしまわないように、少しずつ向き合いたいです。
お元気でお過ごしのこととお慶び申し上げます。
過日は音友ホールでの「リラの会」、誠にお疲れ様でした。
人間の声って素晴らしい、
格調高い日本語って素晴らしい、
そして、それぞれの伴奏者のかたがベーゼンドルファーから紡ぎだす、
それこそ百花繚乱の響きに感動しました。
今日は訳あって、頭の中でずっと
シューベルトの最後のピアノソナタの第2楽章が鳴っていました。
ワタクシも、シューベルトの良さに気付いたのは大学生になってから。
学生オケで「ロザムンデ」の間奏曲を弾いた時、
ほの暗いしんとした森の中の、
ひんやりと少し湿った空気を感じて、
この曲に「静謐」という日本語の意味を教えられたような気がしたことを、
今でも良く覚えています。
初めて弦楽四重奏曲という分野に接したのも、
「死と乙女」だったかな。
そして、社会人になって相当年月が経ってから、
ピアノソナタ第21番D.960に出合いました。
やっぱりシューベルトには変ロ長調が良く似合う?
嘆きの歌に始まり、慰めと浄福の中に消えて行く第二楽章を、
いつか、寺本様のソロで聴いてみたいです。
敬具